愚痴・憎まれ口・無駄口・世迷言・独断と偏見・屁理屈・その他言いたい放題



その39.≪「美味しい兎」と「怖いカニ」?!


伝統文化の継承の方法については、多くの心ある方々が色々と模索しておられるようで、僕自身も微力ながら、様々な試みに挑戦しています。先日九州の総合舞台情報誌「藝報」から、インタビューしたいとの依頼がありました。おそらく僕の創作活動に関してのインタビューだと思います。で、何をどんな風にお話したら良いかと考えをめぐらしている内に、思いついたことがありましたので、ココに書きながら考えを整理してみる事にしました。

先日某テレビで、「日・中・韓の将来」についての討論番組をやってまして、或る参加者からの「どうして日本は、学校で現代史や近代史をチャンと教えないのか?」との質問に対して、文部科学大臣が「教員の中に偏った思想の人が多くて教え難いので、どうしても表面だけを軽く流す事になる。」と答えていました。事の真偽は兎も角、僕も「日本の近代史・現代史」をチャンと習った記憶がありません。古代史から始まって、三学期の終わりにやっと明治維新まで辿り着いたところで、「あとは時間がないから、教科書を読んでおきなさい。」と言われて、期末試験の範囲にも入ってなかったように思います。

確かに「日本の近代史・現代史」は、未だ認識も評価も定まっていないので、教え難い面はあると思いますが、つい数年から数十年前までの身近な話題なので、本格的に教えれば興味を持つ生徒も多いと思います。なにも無理に一つの認識や評価を教えるのではなく、日・中・韓の其々の意見(日本の中でだって、様々な意見があります)を並列して教えてから、「あとは皆さんがシッカリと比較検討して、将来一致した認識を持てるよう、頑張って下さい。」で良いと思うんです。それから段々と歴史を遡っていけば、歴史の勉強の嫌いな生徒でも、中世や古代に対しての興味が湧いてくるように思うんですが・・・

何故こんな事を書いたかというと、なんでも一番古いものから順に教えていくやり方が、本当にベストなのかどうか、考え直しても良いんじゃないかと思ったからです。子供に日本舞踊を教える場合でも、正攻法で「七つになる子」や「関の小萬」のような古謡から教える場合と、比較的入り込み易い「絵日傘」や「花かげ」のような童謡から教える場合とがありますよネ。僕の場合は、まずは興味を持ってお稽古を楽しんで貰えるようにと、後者の方法で教えています。古典の基礎的な技術を充分に取り入れた振付にすれば、もっと新しい曲を使ってもいいんじゃないかとさえ思います。勿論まだ物心がつかない内に、純邦楽の音色に慣れさせる事も大切ですから、比較的新しい「長唄童曲」なども併用するようにはしていますが・・・

今後子供達や若者達に日本舞踊を教える場合、最もネックになるのが「純邦楽」だと思います。なにせ日常生活で殆ど触れた事のない音楽で踊るんですから、その抵抗感は僕達の年代の人間が想像出来ないほど大きいようです。息子の友達が日舞の発表会を観て、「音楽がまるでお経みたい!」と言った話、以前何処かに書いたと思いますし、殆どの若者が「さくらさくら」も「黒田節」も唄えないという話も、以前「独り言」に書きました。これは決して若者達が悪いのではなく、教えない・唄わない・聴かせない僕達に責任があるんですよネ。

「純邦楽」に馴染めないのは、三味線音楽独特の音色や旋律だけでなく、その古文の文語体の歌詞にも原因があると思います。実際に僕の門弟達の中でも、自分が現在習ってる踊りの歌詞を、理解出来ない人が大半です。まるで英語の歌を訳すように、一々解説してあげなければなりません。これは近代の音楽教育の問題であると共に、国語教育の問題でもあると思います。学校で初めて触れる「古典文学」は、大抵「枕草子」や「源氏物語」ですよネ。これらの作品は、たとえどんなに優れた文学作品であっても、あまりにも現代と時代がかけ離れている為に、僕でも原文をそのまま理解する事は出来ません。でも、明治時代や江戸時代の文学作品だと、使われている言葉が大分現代に近いので、一々「古語辞典」を引かなくてもある程度は理解出来ます。だから最初に、例えば樋口一葉の「たけくらべ」あたりから教え始めて、段々古い作品に遡っていけば、もっと文語体の文章に親しみを覚える若者が増えるんじゃないでしょうか。

西洋の文学を教える場合、いきなり古代のラテン語で書いてあるようなものではなく、古くてもせいぜいゲーテの「ファウスト」ぐらいからですし、西洋の音楽を教える場合も、中世の楽譜も読めないような宗教曲じゃなくて、ヘンデルやバッハぐらいからです。ゲーテもヘンデルもバッハも、17〜18世紀の人ですし、トルストイやプッチーニやは20世紀まで生きていました。17〜18世紀と言えば、日本では江戸時代なんですから、日本の文学も音楽も、江戸時代以降の作品を中心に教えるべきなんじゃないでしょうか。日本の古典音楽で、最初に触れるのが「越殿楽(えてんらく)」というのは、どう考えても納得出来ませんが・・・

滝廉太郎の「荒城の月」が、とうとう音楽の教科書から外された事、皆さんはご存知でしょうか。西洋音楽の手法を使いながらも、旋律も歌詞も日本の伝統美が充分に生かされた傑作だったと思うので、とても残念です。そう言えば現代の子供達は、一昔前の童謡や歌曲も、殆ど知らないんですよネ。「金太郎」も「桃太郎」も「浦島太郎」も、山田耕作の沢山の歌曲も、歌えない子供が増えています。僕は子供の頃、「兎追いし、かの山」を「兎美味しい」と思ってましたし、「浦島太郎」の「帰ってみれば、こは如何に」を「怖いカニ」だと思ってました(笑)。でもそういう形で、自然に昔の言葉に馴染んでいたんだと思います。教育テレビで「ややこしや、ややこしや」が流行ったように、「これは現代語、これは古語」なんて分けないで、昔の言葉や旋律にも自然に子供達に親しんで貰えるように、僕達は日常生活でももっと工夫しなきゃいけないと思います。

なんだか取り留めの無い文章になりましたが、「独り言」だから勘弁して下さいネ♪



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